いやー、間が空いてしまいました。
小忙しくしていました。
『幕末の車窓から』最終回です。帰京して随分経ってしまいましたが書きます。
京都滞在最終日、新幹線の時間ギリギリまで京都を味わい尽くすべく動き回りました。
最終日は新撰組にゆかりのある壬生あたりを巡りました。
まずは、壬生寺。
江戸から京都に上った浪士たちが拠点にしたお寺です。ラッキーにも年に数回の特別公開のタイミングだったので、中を見る事が出来ました。
壬生寺は壬生狂言の発祥地。壬生狂言は、台詞のない狂言だそうです。当時の京都は色んな地方出身者の集う都。だから、京の方言を使ってもわからない人が多かったから、言葉のない狂言が普及したそうです。僕の訪れた前日まで壬生狂言が昔と変わらず境内で上演されていたそうです。おしい!観たかった!
壬生狂言を演じているのは、ご近所のみなさん。これも昔と変わらず、代々受け継がれているそうです。すごいなぁ。
特別公開されていた壬生寺の庭です。
ここで、沖田総司を始め新撰組隊士たちが剣術の稽古をしたり、壬生の子ども達と遊んだりしていたそうです。
壬生寺の境内には壬生塚と呼ばれる新撰組の遺跡があります。そこには立派な局長の像が建っていました。近藤勇、イカつい。。。
ここには芹沢鴨のお墓や勘定方・河合耆三郎、池田屋事件で亡くなった数名の隊士のお墓がありました。
続いて、旧前川邸に。
新撰組の屯所として使われていた前川さんのお宅です。現在も前川さんではありませんが、普通に住居として使われているので、ごく一部のみ公開されています。
この前川邸も色々あった場所です。何度も名前の出てきている古高俊太郎が土方の拷問を受けたのがこの前川邸の蔵。今もそのままの状態で残っているそうです。
そして新撰組の知性・山南敬助が切腹をしたのもこの前川邸です。大河ドラマで堺雅人さんが演じて爆発的に人気が出た人物です。
さらにその向かいには、有名な八木邸が。
ここは新撰組が最も活躍した時期の大拠点。
池田屋事件も禁門の変も全てここから出動したそうです。最も輝いていた時期を過ごした八木邸。ここは中で説明員の方がいろいろ解説をしてくださいました。
芹沢鴨の暗殺もこの八木邸の中。
今もその時の刀跡が梁に残っていました。実際、こうして八木邸を見ていると、本当にここに新撰組がいたんだなぁと何だか感慨深くなりました。沖田は本当に美男子だったんだろうか。。。芹沢鴨の酒乱はどんなもんだったんだろう。。。
最後に八木邸から少し歩いた所にある『光縁寺』に行きました。
ここには山南敬助のお墓があります。とても質素なお寺。
しかとお参りしました。
ふと山南敬助のお墓の脇を見ると、河合耆三郎のお墓が。。。
あれ?壬生塚にもなかったっけ?なぜお墓がふたつも?
と思い、東京に帰ってきてから調べました。
河合耆三郎は、新撰組の勘定方。つまり会計係だったわけですが、理由は定かではありませんが50両を紛失してしまう事件を起こしたそうです。
でも、これは河合が紛失したというよりも、新撰組の偉い誰かが横領した疑いが強いらしい。でもでも、河合はこの責任を取らされて斬首されてしまった。なんて事だ。。。
その後、新撰組は河合のお墓を光縁寺に埋葬したそうです。
でも、河合の父親は納得いかず、壬生寺に立派なお墓を建てた、と。
新撰組の建てた光縁寺のお墓と、父親の建てた壬生寺の立派なお墓。これがお墓がふたつの真相でした。今も昔も親心は変わらない。。。親父はきっと無茶苦茶悔しかったんでしょう。。。
というわけで、壬生はあまり回れなかったけど、これで京都の旅を終えました。
今回のように『幕末を巡ろう』みたいに目的をもって旅をしたことがなかったので、とても楽しく勉強になる京都旅行でした。もう少し色々行きたかったけど、それは第2弾に取っておこう。こうして史跡を回ると、より勉強魂が燃えますね。久しぶりに歴史の本とか引っ張り出して読んだりしちゃいました。刺激的でした。
さ、これで幕末の志士の役がきた時のためのそこそこ考えられる情報や経験値は増やせたぞ。
さあ、来い!幕末志士の役!さあ!さあ!来〜い!
ま、そんな簡単にそんな良い話は来ない。。。
でも準備をしておくのは勝手なので、もっと色んな事を見たり聞いたりしておこうという熱が上がりました。
次はどこにいってやろうか!
というわけで、また。