学びの生活|中村公平のブログ
劇団レトロノート代表ナカムラコウヘイの日々思うこと。


劇団レトロノート
劇団レトロノート
2012年本公演
『タイトル未定』
2012年10月初旬
中野 ザ・ポケット
劇団ハーベスト
劇団ハーベスト第2回公演
タイトル未定
2012年8月8日〜12日
中野 ザ・ポケット
LINKS
MOBILE
qrcode
#1124『幕末の車窓から〜壬生篇』
いやー、間が空いてしまいました。
小忙しくしていました。

『幕末の車窓から』最終回です。帰京して随分経ってしまいましたが書きます。

京都滞在最終日、新幹線の時間ギリギリまで京都を味わい尽くすべく動き回りました。
最終日は新撰組にゆかりのある壬生あたりを巡りました。

まずは、壬生寺
江戸から京都に上った浪士たちが拠点にしたお寺です。ラッキーにも年に数回の特別公開のタイミングだったので、中を見る事が出来ました。

IMG_2380.jpg

壬生寺は壬生狂言の発祥地。壬生狂言は、台詞のない狂言だそうです。当時の京都は色んな地方出身者の集う都。だから、京の方言を使ってもわからない人が多かったから、言葉のない狂言が普及したそうです。僕の訪れた前日まで壬生狂言が昔と変わらず境内で上演されていたそうです。おしい!観たかった!
壬生狂言を演じているのは、ご近所のみなさん。これも昔と変わらず、代々受け継がれているそうです。すごいなぁ。

特別公開されていた壬生寺の庭です。
IMG_2388.jpg

ここで、沖田総司を始め新撰組隊士たちが剣術の稽古をしたり、壬生の子ども達と遊んだりしていたそうです。

壬生寺の境内には壬生塚と呼ばれる新撰組の遺跡があります。そこには立派な局長の像が建っていました。近藤勇、イカつい。。。

IMG_2393.jpg

ここには芹沢鴨のお墓や勘定方・河合耆三郎、池田屋事件で亡くなった数名の隊士のお墓がありました。

続いて、旧前川邸に。

IMG_2377.jpg

新撰組の屯所として使われていた前川さんのお宅です。現在も前川さんではありませんが、普通に住居として使われているので、ごく一部のみ公開されています。
この前川邸も色々あった場所です。何度も名前の出てきている古高俊太郎が土方の拷問を受けたのがこの前川邸の蔵。今もそのままの状態で残っているそうです。
そして新撰組の知性・山南敬助が切腹をしたのもこの前川邸です。大河ドラマで堺雅人さんが演じて爆発的に人気が出た人物です。

さらにその向かいには、有名な八木邸が。

IMG_2402.jpg

ここは新撰組が最も活躍した時期の大拠点。
池田屋事件も禁門の変も全てここから出動したそうです。最も輝いていた時期を過ごした八木邸。ここは中で説明員の方がいろいろ解説をしてくださいました。

芹沢鴨の暗殺もこの八木邸の中。
今もその時の刀跡が梁に残っていました。実際、こうして八木邸を見ていると、本当にここに新撰組がいたんだなぁと何だか感慨深くなりました。沖田は本当に美男子だったんだろうか。。。芹沢鴨の酒乱はどんなもんだったんだろう。。。

最後に八木邸から少し歩いた所にある『光縁寺』に行きました。
ここには山南敬助のお墓があります。とても質素なお寺。

IMG_2406.jpg

しかとお参りしました。

ふと山南敬助のお墓の脇を見ると、河合耆三郎のお墓が。。。
あれ?壬生塚にもなかったっけ?なぜお墓がふたつも?

と思い、東京に帰ってきてから調べました。

河合耆三郎は、新撰組の勘定方。つまり会計係だったわけですが、理由は定かではありませんが50両を紛失してしまう事件を起こしたそうです。
でも、これは河合が紛失したというよりも、新撰組の偉い誰かが横領した疑いが強いらしい。でもでも、河合はこの責任を取らされて斬首されてしまった。なんて事だ。。。
その後、新撰組は河合のお墓を光縁寺に埋葬したそうです。
でも、河合の父親は納得いかず、壬生寺に立派なお墓を建てた、と。
新撰組の建てた光縁寺のお墓と、父親の建てた壬生寺の立派なお墓。これがお墓がふたつの真相でした。今も昔も親心は変わらない。。。親父はきっと無茶苦茶悔しかったんでしょう。。。


というわけで、壬生はあまり回れなかったけど、これで京都の旅を終えました。

今回のように『幕末を巡ろう』みたいに目的をもって旅をしたことがなかったので、とても楽しく勉強になる京都旅行でした。もう少し色々行きたかったけど、それは第2弾に取っておこう。こうして史跡を回ると、より勉強魂が燃えますね。久しぶりに歴史の本とか引っ張り出して読んだりしちゃいました。刺激的でした。

さ、これで幕末の志士の役がきた時のためのそこそこ考えられる情報や経験値は増やせたぞ。
さあ、来い!幕末志士の役!さあ!さあ!来〜い!

ま、そんな簡単にそんな良い話は来ない。。。

でも準備をしておくのは勝手なので、もっと色んな事を見たり聞いたりしておこうという熱が上がりました。

次はどこにいってやろうか!

というわけで、また。
【2012.05.16 Wednesday 04:32】 author : レトロナカムラ
| 学びの生活 | comments(0) | - | pookmark |
#1123『幕末の車窓から〜木屋町篇』
さて、今回は木屋町(四条〜三条)を巡ります。

まずは、四条大橋を渡って、先斗町通を歩きました。先斗町は、鴨川に並行する
東京だったら誰も気付かないくらいのほっそい路地裏の道。

IMG_2355.jpg

昔は小さなお茶屋さんがたくさん並んでいたそうです。今は小さな飲み屋さんが並んでいます。

この木屋町、南北数キロの非常に狭い範囲の中でとてつもない歴史的な事件がたくさん起きた地域。また、先斗町は幕末の志士達の下宿が数多くあった場所でもあるそうです。

新撰組の拷問を受けて「京都を火の海に」という倒幕派の策略を吐いてしまった古高俊太郎もこの木屋町で下宿していました。
拷問って…日本でもあったんだな。恐ろしい。
ま、古高たちの京都大火の陰謀も恐ろしいけど。

先斗町を抜けたあたりにあるのが、酢屋

IMG_2357.jpg

ここの2階に坂本龍馬や中岡慎太郎が下宿しつつ、海援隊の事務所として使われていたそうです。海援隊がここに!京都ってやっぱりすごいなぁ。

商業の力で日本を変えようと長崎で亀山社中を結成、その後に京都で海援隊を結成した坂本龍馬。日本初の会社と言われていますね。その海援隊がここに!
この酢屋、お酢屋さんではありません。当時は材木商をしていたそうです。

龍馬の死後、海援隊はバラバラに。でも、海援隊の経理を担当していた岩崎弥太郎は、三菱財閥の創業者。日本の商業が海援隊からしっかりと受け継がれているのがわかります。すごいなぁ。

さて、酢屋の角を曲がり、三条通に出ると、かの有名な『池田屋』が。

IMG_2362.jpg

今は、居酒屋になってます。粋な事に、はなの舞・池田屋という名前に。池田屋事件の池田屋です。海援隊の酢屋と目と鼻の先。

先ほどの古高俊太郎が話した陰謀を阻止すべく新撰組が御用改めに入ったのがこの池田屋。

この時池田屋に突入した新撰組隊士は近藤勇、永倉新八、沖田総司、藤堂平助のたった4名。対する長州藩の志士は20名強。20対4。しかも沖田は立ち合っている最中に持病の結核で血を吐いて戦線離脱。それでも土方隊が到着するまで3名で20数名と斬り合い続けた新撰組ってどんだけ強かったんだ!って話です。恐るべし新撰組。池田屋で一気に有名になったというのも頷けます。

さて、そのまま河原町通に出て南下すると、そこには近江屋が。
今はサークルKです。コンビニです。

IMG_2365.jpg

でも、しっかりと石碑が建っていました。
しかも店内には近江屋と龍馬暗殺に関する案内板が設置されていました。しかも手書きの。

近江屋は、醤油屋さん。てっきり宿屋かと思っていましたが、命を狙われていた龍馬は、土佐藩の御用達の醤油商である近江屋に身を隠していたそうです。
土蔵の中に身を隠し、しっかり逃げ道も確保していたのに、近江屋事件当日は体調を崩して、母屋の2階にいたそうです。誰が龍馬を殺ったのか、未だに謎の多い事件ですが、この時龍馬が土蔵にいたら助かっていたかもしれません。

しかも龍馬、用心棒の藤吉が1階で斬られた時に発した叫び声を、近江屋の子どもと遊んでいると勘違いして、『ほたえなや!(静かにしろ)』と土佐弁で叫んでしまったものだから、刺客に龍馬がいる部屋がバレてしまった。運命と言うか、何というか。。。

「龍馬が生きていたら。」なんて話、よくありますが、きっと生きていたらという話自体が無意味なものなのかもしれません。実現したかった薩長同盟を締結させ、日本で初めてのハネムーンに行き、多くの偉業を成し遂げまくった33年の人生を猛ダッシュで駆け抜けた坂本龍馬の最期。全てが残念な事に死に向かっていたのかもしれません。。。

幕末の志士たちの足跡を巡る旅、次回はラスト。
次回の『幕末の車窓から』は新撰組の拠点、壬生らへんを巡ります。
チャオ。
【2012.05.06 Sunday 14:00】 author : レトロナカムラ
| 学びの生活 | comments(0) | - | pookmark |
#1122『幕末の車窓から〜祇園・清水寺周辺篇』
さて、今回は祇園から清水寺あたりを巡ります。

まずは八坂神社
祇園東側にある有名な神社です。まー、人が多い。さすがゴールデンウィーク。

IMG_2244.jpg

お参りだけして早々に退散しました。
そのまま八坂神社の奥にある円山公園へ。

円山公園には坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像があります。
とりあえず、一緒に明日を見つめました。

IMG_2259.jpg

そのまま『ねねの道』へ入ると、一気に古都の匂い。
いきなり舞妓さんに出逢いました。

IMG_2265.jpg

でも、おそらくこの方は一般の方。
最近は舞妓さんの格好をさせてくれるお店があるそうですね。知りませんでした。だってこの舞妓さん、仕切りに「スマホでも撮って!」って言ってたもん。でも、やはり一般の方だろうと、舞妓さんは風情があります。

ねねの道を進むと、高台寺・月真院の『御陵衛士屯所跡』へ。

IMG_2267.jpg

御陵衛士といえば、伊東甲子太郎。新撰組に入ったものの、本当は新撰組と真逆の思想・倒幕をしたかった策士なインテリくん。新撰組の藤堂平助も御陵衛士に入隊。見事に新撰組を策略通りに二分したものの、あっけなく暗殺されてしまった甲子太郎。

平助は甲子太郎にハメられた事に気付いたのに、身内である新撰組と剣を交えて亡くなってしまった。一度自分を預けたら、その人のために命を全うする武士だったわけです。
ホントになんて時代なんだ!幕末!と若干イラツく僕です。

そのまま、「維新の道」という急坂を昇り、『霊山護国神社』へ。
ここはご存知の方もいると思いますが、坂本龍馬をはじめ多くの幕末の志士たちのお墓があります。

IMG_2282.jpg

坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓は隣同士。その脇には龍馬の用心棒だった藤吉のお墓も。藤吉は用心棒になる前は力士だった大男。でも、近江屋の龍馬暗殺の際、一緒に刺客に殺されてしまいました。

霊山護国神社には、他にも高杉晋作や久坂玄瑞、木戸孝允(桂小五郎)と名だたる志士たちのお墓が並んでいます。京都が一望出来る素晴らしい立地です。京都を、日本の礎を作った人たちが京の都を見つめているわけです。

でも、僕は思いました。ここに新撰組の隊士のお墓はない。。。ま、当然と言えば当然ですが、この素晴らしい京都の景色が眺められるこの場所に、理想は違えど、同じように日本の将来を案じていた新撰組のお墓があってもいいじゃないか、と。まぁ、新撰組はすぐに人を斬る大悪党集団という認識だったようだから、無理か。。。なんだか切ないなぁ。と思うのでした。

さて、お墓参りをした後は、霊山護国神社の目の前にある『幕末維新ミュージアム・霊山歴史館』へ。

IMG_2284.jpg

この博物館、すごいです。勉強になりました。
中には「近藤勇の鎖帷子」や「龍馬を斬った刀」などの展示物や、池田屋事件などの再現模型も置いてあり、その他にも映像資料もたくさん。見応えたっぷりな博物館でした。行った事のない方は是非一度。超リアルな等身大の坂本龍馬のフィギアもいました。意外と無骨な男でした。

博物館を出て、「二年坂」を歩きながら、また京都の雰囲気を味わいました。

IMG_2291.jpg

ザ・京都!っていう雰囲気。
二年坂を歩いているこの2人の舞妓さんは、本物でした。お稽古グッズを持ってたから。美しかったです。

そうそう、祇園のお茶屋さん(飲み屋さん)は当然ながら、長州などの倒幕派も幕府側の新撰組も通っていたそうです。近藤局長はかなり派手に遊んでいたらしい。。。

敵味方が入り乱れて飲んでいたわけだけど、祇園で血が流れる事はほぼなかったそうです。祇園ではみんながみんな大人でいる事が暗黙の了解であり、祇園ブランドを汚す奴はみっともない!というのがあったようです。面白いもんです。
どの時代も男は変な所で見栄をはり、女性には頭が上がらないという構図があったんですねぇ。

と、ようやく『清水寺』へ。
IMG_2326.jpg

清水の舞台から飛び降りようとしてみましたが、誰も止めてくれないのでやめました。どうせ清水の舞台から飛び降りるなら、誰かに惜しまれつつフライしたかったので。

新緑が素晴らしかったです。
天気も良かったので、青い空と緑が絶妙のコントラスト!素晴らしかったです。

IMG_2349.jpg

祇園の街をゆっくり歩きながら、幕末に想いを馳せるのでした。

次回の『幕末の車窓から』は、
木屋町あたりを巡ります。

まだまだ続きます。しつこくいきます。
【2012.05.03 Thursday 11:09】 author : レトロナカムラ
| 学びの生活 | comments(0) | - | pookmark |
#1121『幕末の車窓から〜伏見篇』
IMG_0799.jpg

いってきました!古都・京都!
中学校の修学旅行以来だから、約20年ぶり。
どこかに行く時に新幹線で通ったりはしていましたが、下車するのは20年ぶり。

驚くほど、発展した京都駅にビックリ。
中学当時は、高い建物がほとんどありませんでした。
というか、確か景観保護のために高い建物は建てちゃいけないって事になっていたような。。。なのに、駅がこんなに高い建物になってる!ちょっとビックリ。

さて、そんな事より。

今回はせっかく京都に来たので、幕末の志士たちの足跡を巡る旅をする事にしました。

京都に到着して、最初に向かったのは、伏見地区。
近鉄線→京阪線・中書島駅を降りて、徒歩5分強。

寺田屋へ。

寺田屋は2回の事件があったのでとても有名です。

1度目は薩摩藩主・島津久光が攘夷倒幕派の身内の暴走を止めようと説得に来て、そのまま切り合いになってしまった『寺田屋騒動』。この時切り合いになった志士たちは、薩摩の地元ではとても仲良し同士だったそうです。あぁ、幕末。。。なんて時代なんだ。。。

2度目はご存知の通り、坂本龍馬が命を狙われて逃げ切った『寺田屋事件』
坂本龍馬の恋人お龍さんが入浴中に周囲の異変を感じ素っ裸で階段を駆け上がり、龍馬に「危ない!」と伝えにいったという裏階段もそのまま現存していました。このお龍さんの機転で龍馬は九死に一生を得たというのは有名な話。

そしてこれがその階段。

この時、龍馬が手にしていたのが高杉晋作にもらったピストル。龍馬を襲った刺客たちもこのピストルにかなりビビったそうです。

IMG_2183.jpg

この写真は、龍馬の部屋で撮りました。
とにかく全てが小さい。鴨居の高さも低いし、畳も小さめの京畳。幕末の日本人は小さかったって事ですね。でも、龍馬は172センチと当時としては大男だったようなので、この部屋は小さかったのかもな、なんて思いました。


この伏見という街は京都屈指の酒処。
幕末の志士が集まっていたというのもわかる気がします。
鳥羽伏見の戦いで街の大部分が焼けたりぶっ壊されたりしてしまったようですが、今でも当時の面影を残す酒蔵が並んでいます。ザ・京都!って感じで、感動しました。

酒蔵にある喫茶店で、お酒スイーツをいただきました。
アイスの上に日本酒をかけていただく最高に美味なスイーツ。アフォガードみたいな感じです。ほんっとおいしかったです。



おいしいスイーツの後は十石船に乗りました。

IMG_2216.jpg

この十石船、当時は大阪まで繋がっていたそうです。
夜、伏見を出ると朝方大阪に着く、今でいう深夜のシャトルバス的な?感じだったみたいです。今はもちろん観光船なんですが、当時はこの船で人はもちろん、米や資材・衣料品と様々なものを流通させていたそうです。すごいなぁ。車や電車、飛行機がなくても船があったわけです。
しかも、とてもおいしいお酒の作れるキレイなお水の流れる川の上を行き来していたわけです。

京都、いい。
楽しい。

次回の『幕末の車窓から』は、
祇園〜清水寺周辺を巡ります(笑)
【2012.05.01 Tuesday 00:53】 author : レトロナカムラ
| 学びの生活 | comments(0) | - | pookmark |
| 1/289PAGES | >>